2013年11月21日木曜日

ウズベキスタンに遺されている感動秘話

先日、ある番組でウズベキスタンという中央アジアに位置する
旧ソ連の共和国について取り上げていました。



あまり馴染みのない国ですが、
この国は、かなりの親日派だそうです。
日本人に対して敬意を持っている方が多く、
子供には「日本人のようになれ」と教育する人もいるとか。
そのため、日本に憧れて、留学を希望する若者も多いとのこと。

私たちには身近でないこの国が、なぜそんなに日本好きなのか??
そこには、涙無しには語れないエピソードが!!

時は、第2次世界大戦直後の事。
ポツダム宣言受諾後、ソ連が侵攻してきて、
日本の技術者を始め、沢山の捕虜を連れて行きました。
そして彼らを奴隷のように強制労働に従事させ、
ソ連のインフラ整備に利用したのです。

そうして連れてこられたウズベキスタンで、
日本人捕虜たちが現地で遺していった物語。

以下は、国際派日本人養成講座というサイトが転載可能で載せている記事です。
(長文なので、要約してあります。)


■■■■■■■■■ JOG Wing ■ 国際派日本人の情報ファイル■■■■■■■■■■■

日本人抑留者が遺したウズベキスタンとの友好の絆       伊勢雅臣


ウズベキスタン共和国の首都タシケントにある国立ナボイ劇場。

この劇場正面には、「1945年から46年にかけて極東から強制移住させられた
数百名の日本国民がこの劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」と
表記されたプレートが設置されている。



ウズベキスタンには大戦後、ソ連によって約2万5千人の
日本人抑留者が移送され、水力発電所や運河、道路などの建設にあたった。

捕虜の境遇にあっても勤勉に働く日本人抑留者は、
当時の地元民に敬意を表された。
現地の人は、「絶対に帰れる」と励ましながら、黒パンを握らせてくれたという。
    
日本人抑留者が現地に残した遺産のシンボルが、
約500人の抑留者によって2年がかりで建設したナボイ劇場なのである。
レンガ製造から館内の装飾、彫刻まで抑留者が行った。

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66年の大地震でタシケント市内の多くの建造物が倒壊した際も、
この劇場はビクともせず、「日本人の建物は堅固だ」
「日本人の建築技術は高い」という評価が定着した。
そのためか親日感情が強い中央アジア諸国の中でも
ウズベキスタンの日本人への好感度は飛び抜けている、という。

1991年に旧ソ連から独立して新国家建設を進めるウズベキスタンは、
カリモフ大統領をはじめに日本の明治維新や戦後復興をモデルとして
「日本に見習え」を合言葉にしている。

2万人の抑留者のうち、800人以上が現地で死亡し、
各地の墓地に埋葬されたが、その多くは荒れ放題となった。
しかし、元抑留者たちが中心となって募金活動を行い、
ウズベキスタン政府の協力も得て、日本人墓地が整備された。
また「日本に帰ってもう一度、桜を見たかった」と言い残して
亡くなった抑留者のために日本から桜の苗木1300本が送られた。
     

■■■■■■■■■ JOG Wing ■ 国際派日本人の情報ファイル■■■■■■■■■■■


栄養失調と過労により、朝になったら隣の人が死んでいる。
そのような過酷な労働環境の中、
処遇改善を叫ぶだけだったドイツ兵捕虜と違い、
日本兵は勤勉に働き、現地の人の心を動かしていったそうです。
たとえ強制労働だったとしても、
仕事には決して手を抜かなかった日本人の職人魂。
勤勉さ、真面目さを大切にする日本の精神文化は、
先人が培ってきてくれた、大きな財産です。
今の豊かな日本があるのも、その根っこがあったから。
遠いウズベキスタンとの絆を遺して下さった日本人の方々に、
心より感謝と追悼の意を表したいと思います。

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